こんにちは、チャタローです。
「頑張ってね」という言葉は普段何気に使う、相手を応援する言葉です。
これから出かける家族に「いってらっしゃい、頑張ってね」とか、友達から相談のLINEなど貰った時の最後のシメに「頑張ろうね!」とうってみたり。
勉強頑張ってね、仕事頑張ってねなど、相手の背中を押す激励の言葉である「頑張って」は、もはや日常挨拶の一種になっていますね。
ところがこの言葉は、使う相手によっては逆効果になってしまって、相手を追い詰めてしまったり、否定してしまうことになることもあるんです。
本日はこの「頑張って」という言葉について、お話していこうと思います。
なぜ「頑張って」がダメなの?
「頑張ってね」という言葉自体は決して悪い言葉ではないので誤解のないようお願いします。
問題は「頑張ってね」という言葉をかけてはいけない人もいるというところです。
例えば、すでに十分頑張っりきっている人に「頑張ってね」と言ってしまった場合。
相手の捉え方によっては「まだやれるよね?」「努力が足りてないんじゃないの?」と、ダメ出しされている気持ちになることもあります。
それくらいで落ち込むのは、その人が弱いだけと言う人もいるでしょう。
でも価値観は人それぞれです。自分にとってそれくらいと思うことでも、相手には深く傷つくこともあるのです。
頑張っているか、いないかどう判断するの?
では、そもそも十分頑張っているか、もっと頑張った方がいいかは何をもって判別されるのでしょう?
汗をかいて頑張っている人もいれば、同じくらい頑張っていても顔色ひとつ変えない人もいます。
外見から頑張り度合を判断するのは難しいです。
そのため現代社会では、仕事や学業、家庭生活など、「良く頑張った」「もっと頑張って」の基準は、数値化されたデータで誰かと比較して判断されるか、一般的な平均値と比較して判断されがちです。
良い成績を上げたAさん、成績が悪かったBさんがいたとして、頑張ることに使ったエネルギーは両方とも一緒だったとしても、Aさんが良く頑張った、Bさんはもっと頑張れと言われてしまいます。
そもそも何をもって頑張ったと言えるかは人によって全然違います。
その人がどれだけ頑張ったかは、実際には本人しかわかりません。
BさんはAさんと同じくらい頑張っていたのに、あくまで目の前にある結果だけで、頑張りが足りなかったと勝手に判断されてしまっているのです。
現代社会において、どうしても一定の評価をつけなくてはいけないのは仕方ないことではあるのですが、その人がいかに頑張って努力しているかいないかは、本人以外にはわからないのです。
発達障がいの人はすでに頑張っている状態のことが多い
ここからは自閉スペクトラム症、ADHDなどの発達障がいのある人に対しての「頑張って」の言葉について考えてみます。
まず、私がこのことをブログにしようと思ったきっかけは、数年前に出会った一冊の本、PHPのびのび子育て『子どもの発達障害』でした。
その中で特に気になった言葉を抜粋して紹介します。
「発達障害のお子さんは、すでにいろいろなことを頑張っています。音も匂いも触覚も苦手な子が幼稚園や保育園、学校に通っているのは、それだけでもすごいこと」
「この子たちに「頑張れ」というのは、アレルギーのある人に「頑張ってアレルギーを克服しなさい」と言うのと同じです。」
「そのことを理解し、そういう特性のある子なのだなと受け入れるとこから始めましょう」
PHPのびのび子育て『子どもの発達障害』(2020年PHP研究所出版)
私はこの言葉に強く衝撃を受けました。本当におっしゃるとおりだなと。
発達障がいの人の中には感覚過敏を持っている方も多く、普通の日常生活を送る事さえ大変な人も多いのです。
わかっていたつもりなのに、私は自閉症で聴覚過敏もある息子の見えない所での「頑張り」を認める前に、「頑張れ」と簡単に言い過ぎていました。
心の悲鳴に気づいてあげて
発達障がいのある人は、自分の思いを表現するのが苦手な人が多いです。
言葉で表現することも、表情に出すことも苦手です。
否定したくても否定する方法もわからないので、言われたことに「はい」と言ってしまったり、ダメ出しされれば何で自分が責められているのかわからないけど、とりあえず謝ればいいかと、わけもわからず「ごめんなさい」と言ってしまうこともあります。
かと言って、心がないわけではありません。本当は内に秘めている本音があるけれど、どう表現したらいいのかわからないのです。
本当はもう限界くらい頑張っているのに、外見からはそうは見えないから、周りから「やればできるのでは?もっと頑張ろう」と求められてしまいがちです。
無理してしまうと、二次障がいに発展するケースも…
自分はもう限界まで頑張っているよ、どうしたらわかってもらえるの?というもどかしい気持ちがストレスの沸点に達した時に、二次障がいに発展する危険性があります。
自分の体を傷つける自傷行為や、人や物を攻撃する他害行為、異物を食べようとしたり、異常な行動をとるなど、無意識の抵抗が始まります。
言葉や表情でうまく表現できないかわりに、自分を痛めつけたり、他にあたることで、自分は悲しいんだ、怒っているんだと訴えているのです。
頑張ってと応援するのもいいけど、理解して受け止めてあげることがもっと大事
発達障がいの人々の親は、誰よりも子の理解者であり、安全基地でいてあげなくてはいけません。
誰も信じられなくなって、誰にも心を開かなくなってしまえば、今まで出来ていたことさえもできなくなって、自分の殻に閉じこもってしまいます。
応援するのも悪いことではないですが、それ以上にすでに頑張っている部分をきちんと認めてあげて、お子さんの特性上どうしても出来ない事があることも理解して受け止めてあげることが大事です。
あの本との出会い以来、私は息子に「頑張って」を連呼して勝手な期待を押し付けないよう気を付けています。
出来ない事を無理に頑張らせないのは甘やかしではない
中には「甘やかしてる」と言ってくる人々いるかもしれません。
よく祖父母と暮しているお家だと、祖父母が自分達の教育観で意見を言ってくることも多いのかなと思います。
でも結局、一番わかってあげられるのも、守ってあげられるのも、一番側で見ている親です。
発達障がいのあるお子さんにとって親は、自分がうまく表現できない部分を補ってくれる良き理解者、代弁者なのです。
周りの意見は良い部分だけ参考にさせてもらって、あとは適当に受け流しましょう。
親も知らないうちに頑張っている
親自身も子どもの気持ちを受け止めようと思うあまり、無意識に我慢したり、頑張ることが続いて、知らず知らずのうちにストレスが蓄積していくこともあります。
そうゆうお父さん、お母さんに対しても頑張っての言い過ぎは気を付けた方がいいですね。
お子さんを学校に出した後など、少し手が離れた時には、自分自身のストレス発散も忘れないようにしてください。親が元気でいないと、お子さんの信頼できる安全基地ではいられません。
まとめ
「頑張って」という言葉のあり方について、私なりの意見を書き綴りましたが、もちろんこれも人の価値観によって様々かと思います。
もし私のブログが、精一杯頑張っているのに頑張っていると認めてもらえない人の心に少しでも寄り添えたなら幸いです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。